研究日誌
去年の8月終わりから9月の江の島での作品展示は、実にたくさんの経験を得ることができた。私自身は、そこで作った作品を研究テーマにしている。経験の例として3つ挙げたい。1つ目は学校にいるだけだと、デジタルファブリケーションについてよく知らない人と関わる機会が少ない。そのため、様々な意見をもらえたことはとてもプラスだった。2つ目は自分の作品も、ほかの人の作品も解説・説明することによって、作品への理解が深まった。自分のものはもちろんだが、自分とは違う考えを持った人がどう考えて、そう形にしたのかを理解することで、モノを作るという行為を客観視できたと思う。3つ目は外部の人と関わることで、違う価値観を持つ人と交流を持てた。英語で伝えなければいけない場面もあり、いつもは使わない脳みそ使った。
今年は、疫病もあって、展示会をするのは厳しい。未来の状況が分からないので、これはただの希望でしかない。
展示会の経験はモノを作る原動力になる。見てもらうことで、気づけなかった部分に気づくことができる。20年ちょっと生きたくらいじゃ、視野はびっくりするくらい狭く、何も知らない。見えなかった部分があって当然だ。
江の島での展示でなくても、何らかの形で学校外の人に発表する機会をこれからも続けていけたら、後世研究がよりいいものになるのではないだろうか。という訳で、展示会をしたい。
卒論は製本してもらえると聞いて、それならば散らかった部屋が背景の写真ではなく、ちゃんとしたものを撮りたいと思った。
一人でどこかに撮りに行くのもいいが、何人かでやった方が、準備や場所取りがしやすいと思う。
いつごろできるかわからないが、予定くらいは立ててもいいんじゃないかという話。
今考えているアイデア。
パーツを一つの服専用で作るのではなく、繰り合わせを変えると違うもののできる服を作りたい。素材は決まってない…。(これが問題)モチーフはアジサイ。花言葉が七変化なのと、花が四角いので組み合わせしやすいのではないかという発想。上着、カーディガン、スカート…。
気温と服の関係(「世界の民俗衣装」)
民族衣装
洋服の弊害(日本の夏を過ごすにはスーツは暑すぎる。のっぺり短足民族の日本人が西洋人みたいな姿を求めすぎてる。)
祭りで用いられる服(あえて裸で祭りに参加する。晴れ着)
ロリータファッション(私じゃなほんとの私になる服)
なぜ服を着始めたのか(人類学らへんをあさるか…。)
服と性
大量生産と多量廃棄
既製服は誰が作っているのか
ファッション業界
導入
衣服とは(衣服の起源や人のかかわりについて)
洋裁の衰退と既製品と問題点(生産と消費が分離したことによる弊害)
制作物
<>結論(服を作ると、既製品を買うときにも見方が変わって、粗悪なもの買わなくなる。その動きが大きくなれば市場の商品がよりよくなるのではないか)衣服は気温以外に文化や宗教、身分、技術とも関連している。
問を立てるにあたって
・これまでの歴史の中で生まれてきた糸や布の作り方、大量生産の形の流れの中での洋裁の新しい在り方としてのレーザー加工を使った衣服制作。工場での作り方以外に、家庭洋裁も手軽に使えるデジタル工作機の登場で変化が起こるのではないか?
・生産と消費の距離を再び縮めるための家庭洋裁。(イマイチいい論文に出会えない…。生産と消費は農業系に多いらしい。)大量生産によって便利で、早く、安く生活できるようになったけど、その過程の中で失われたり、問題が起きていること。(技術の継承。資源の過剰な消費、次世代に資源を残せるか。小学校でプログラミングが必須になったけど、きっと自分で考えてものを生み出せる力をつけることだから、それを鍛えるには生産している場所に近い場所にいるべきでは。作ることで粗悪品を見分けられる目を養えば、市場に出回る商品がより良いものになるのでは。)